山口 香 様 【筑波大学大学院准教授、柔道家】

2011.03.09

プロフィール
名前:山口 香(やまぐち かおり)
 筑波大学大学院准教授、柔道家
1964年12月28日東京都生まれ
1987年筑波大学体育専門学群卒業
1978年〜87年全日本女子体重別選手権10連覇
1984年第3回世界女子柔道選手権金メダル(日本女子初)
1988年ソウルオリンピック銅メダル
1989年筑波大学大学院修士課程体育研究科修了、同年現役を引退
日本女子柔道が世界のトップに通用することを証明した伝説の女子柔道家で「女三四郎」と称賛された。
武蔵大学人文学部教授を経て2008年筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授

◆柔道を始めた理由

 私が柔道を始めた昭和46年頃(当時6歳)は、「女だてらに柔道なんて」という時代でした。そのため、柔道をしていた女の子は「家が道場をしている」とか「お父さんが柔道家でしかたなくやらされて」といった人ぐらいでした。そんな時代に私が柔道を始めたきっかけは、当時のテレビドラマ「姿三四郎」を見て憧れたからでした。どこがよかったのかと言われても明確に覚えているわけではありませんが、三四郎は柔道が強くなっていく過程の中で人間としても成長していく様が他のスポーツとは違うように感じました。通い始めた道場に女の子はおらず、稽古相手はもっぱら男の子でした。女子の試合が禁止されていたので、試合も男の子に交じって出場していました。小学生の頃は女の子の方が成長が早いために男の子とでも対等に戦っていましたし、私に負けてやめた男の子も少なくありません(笑)。とても厳しい道場で稽古は日曜日を除く週6日で、今思えば英才教育だったともいえます。ただし、道場の先生は強い選手を育てようという教えではなく、礼法や受け身などといった柔道の基本はもちろんですが、考え方や生き方に至るまで教授していただきました。人を教える立場となってから、当時、道場の先生から言われた言葉や話を良く思い出します。強くなれたのも、長く柔道を続けることができたのも、柔道の技術だけではなく、道として柔道を教えていただいたお陰だと感謝しています。


◆試合の始まり

 日本で女子の試合が始まったのは昭和53年(当時13歳)でした。講道館柔道を創始した嘉納治五郎師範は、早い時期から女子にも柔道の道を開きましたが、試合に関しては時期尚早としました。師範の没後も長い間、試合は解禁されませんでしたが、試合を行うようになっていた海外からの強い要望によって世界選手権が開かれることとなり、本家日本もようやく重い腰をあげたというのが真相です。そのため、女子に関して言えば、競技としての歴史は海外のほうが長く、日本女子選手が活躍するまでには長い時間を要することになります。初期の女子柔道は、お嬢様の行儀見習いといった要素が強かったため、挨拶は「ご機嫌よろしゅうございます」、足を蹴れば「お痛かった?」などといった感じだったそうです。そのため、女子の稽古は勝負するというよりは、テニスや卓球で言えば、いかに美しく、長くラリーを続けられるかといったような感じだったようです。私の場合は、町道場で男女の別なく稽古をし、試合にも出ていたので、競技として柔道を行っていたとも言えるわけで、そのことが13歳でありながら全日本選手権で優勝できた要因であったと思われます。
 最年少で優勝したこと、女子柔道への興味もあってメディアの注目を集めることとなりました。良くされた質問は「柔道着の下には何を着ているんですか」「痴漢にあったことがありますか」といったことで、いかに女子柔道が競技としてではなく興味本位で見られていたかがわかります。社会的にもそうですが、柔道界でも「女子が柔道の試合?」といった偏見のような目が少なからずありました。私自身が世界チャンピオンになることは、自分のためだけでなく、女子柔道を社会に、柔道界に認知してもらうことなのだという自負が少なからずあったように思います。また、メディアの取材も積極的に受けて、広告塔としての役目も意識していました。勝ち続けることや見られていることにプレッシャーを感じたことはあまりありませんが、常に人の目を意識せざるを得なかったことは確かです。


◆筑波大学を選んだ理由

 当時は中学校や高校に女子を受け入れてくれる柔道部が少なかったので、高校卒業までは町道場で稽古を続けていました。高校3年生で大学進学を考えたときに、東京の大学を選んでそれまでと同じように道場に通うという選択肢もありましたが、親しんだ環境から離れて筑波大学を選んだことにはいくつかの理由があります。まず、筑波大学の前身である高等師範学校の初代校長が嘉納治五郎師範であったということです。筑波で柔道を学ぶということは本流を学ぶことだと考えました。また、当時監督を務められていた中村良三先生(現筑波大学名誉教授)が「女子柔道はこれから必ず発展していく。その先駆者として道を切り開いていくのがあなたの役目であり、筑波大学がその後押しをする。」と言ってくれたことも大きかったと思います。女子の部員のいなかった柔道部に入ることは簡単なことではありませんでした。しかし、それまでは言わば教えられていた環境から自ら求める環境へと変わったことが競技力向上にもつながったことは間違いありません。筑波大学は常に柔道界をリードする立場にあるという意識も強く植えつけられました。在学中に世界チャンピオンになることができたのも、こういった厳しく意識の高い集団のなかに身を置いたからこそだと思っています。


◆柔道から得た財産

 初めて試合で海外に行ったのは14歳の時でした。その後、何十カ国という国々を訪れ、多くの選手達と試合をしました。合宿では寝食を共にし、コーチとなってからはお酒を飲みながら夜遅くまで語り合ったことも数えきれないほどです。若い頃から海外に出て、外から日本を見られたことは非常に貴重なことであったと思っています。私たち日本人が独自の文化、歴史、習慣を持っているように、それぞれの国、民族に独自の文化があることを肌で感じることができました。筑波大学柔道部は、年間100人を超える外国人を受け入れて共に稽古に励んでいます。指導陣は、学生達を一人一人海外に行かせて経験させるには莫大な費用がかかりますが、外国選手を受け入れれば柔道部全員が経験できるという思いから積極的に受け入れています。文化や習慣の違いから面倒なことは少なからずありますが、こういった経験こそが競技とは別に柔道から得られる大きな財産であると信じています。また、外国選手に慣れている学生達は初めての国際大会であっても戸惑うことなく自力を発揮できるようです。
 2年生までは女子の柔道部員は私のみだったので練習相手を見つけることも大変でした。男子にとっては女子と練習しても強くならないし、楽していると思われても嫌だし、といった心境だったのかもしれません。そんな中、外国選手は私とでも気軽に練習をしてくれたことを覚えています。外国選手が日本の道場にくれば、女子の私と同じように異質です。そういう意味で同じような境遇に親近感を感じていたのかもしれません。言葉は通じなくても気持ちで通じ合うことができることを理解することは重要です。海外の人に「you are not typical Japanese.」と言われることが多いのは、この当時に培ったopen mindの姿勢であり、褒め言葉だと思っています。海外選手を受け入れていると、良いことはよい、できることはできる、できないことはできない、ということをはっきり伝えることがトラブルを避けることだと感じます。ダメだと思っているのに気を使って「たぶん、大丈夫」などと言うことは親切とはなりません。日本では自分の意志や考えをはっきり言うことは嫌われる傾向もありますが、私自身は比較的はっきり自分の考えを主張します。柔道を通じて学んだことの一つは、戦うことは敵を作ることではなく仲間を作ることだということです。社会も同じで、議論することは相手を理解する手段だと考えています。


◆できないことへの挑戦

 筑波大学で学んだことは、柔道のキャリアと同じぐらいに内面の自信となり、誇りです。私の考える筑波の特徴は、型にはまらない、はめない大らかさだと思います。多くの大学では、決まったカラーのようなものがあり、standardとして強調しているところもあります。筑波にはそのようなものがなく、それぞれが個々に色を放っています。そのことが、「筑波には団結力がない」「個に力があるからまとまらない」といった印象につながっているのだと思われます。柔道は個人競技ですが、オリンピックなどに行くと団体競技だと感じます。個々が力を発揮するためには、それぞれが自分の責任を果たし、皆が同じ目標に向かって信じて戦い抜くというチームの雰囲気が重要です。アテネオリンピックで女子柔道は7階級中5個の金メダルを獲得するという脅威の成績を収めました。どの選手も個性が強く、我がままといってもいいぐらいでした。しかし、戦いが始まって印象的だったのは、毎日、その日に戦いに出て行く選手を皆がベランダから見送っていたことです。後である選手が「背中を押されていると感じた。負ける気がしなかった。」と語っていました。強い個性は一見交わらずにバラバラだと思われますがそれは違います。ベクトルが同じ方向に向いてさえいれば、それぞれが放った光が一つにまとまって大きな輝きを放つことができます。つまり、大学が示さなければならないのは、大きなベクトルがどこに向かっていかなければならないかということです。筑波大学の前身である高等師範学校初代校長を務められ、講道館柔道を創始された嘉納治五郎は柔道の目的を「自己の完成と世の補益」と述べています。おそらく筑波大学が目指すところも、大学としての完成度を高め、世の中の役に立つことに違いありません。
 筑波大学には非常に優秀な学生が集まっていると思います。ただし、優秀だからこその落とし穴もあります。社会に出てから何が必要かといえば、自分の得意な分野やできることではなく、出来ないことに対していかに我慢強く取り組み、解決策を見つけていけるかが求められます。チャンピオンになって弱みを見せたくないと挑戦を怠れば連覇することはできません。それと同じで得意な分野でいかに優れていても挑戦を怠ってはなりません。挑戦とは、プレッシャーのかかる環境に自らを置くことです。自ら求めれば、自分をさらに磨く環境が筑波にはあります。限られた学生生活を「あれをやっておけばよかった」という後悔のないように取り組んでいただくことを願っています。


◆「筑波大学基金 TSUKUBA FUTURESHIP」への期待

 前述しましたように筑波大学はこれまで個々がそれぞれに力を放ち、チームとしての結束がないと言われてきました。しかし、ここにきて大学主導で'Team Tsukuba'としての結束を強め、個が、大学がさらに力を持っていけるような活動が徐々にスタートしています。その一つが「TSUKUBA FUTURESHIP」です。
現在、在学中の学生達は私たちのファミリーです。そのファミリーが彼らの可能性を最大限に伸ばせるような環境を整えるための支援だと私は考えています。嘉納治五郎師範は「自他共栄」という言葉を常におっしゃられました。私たちが今活躍できているのも多くの方に支えられ、育てていただいたからです。次の世代を育てるために応援していくのは私たちの役目です。
 多くの筑波ファミリーに理解をいただき、この事業が発展していくことを願っています。

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