井坂 斗絲尚 様(本名:甲斐 尚美 様) 【津軽三味線井坂流師範、津軽三味線奏者、三味線職人】

2012.11.8
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プロフィール

名前:井坂 斗絲尚(いさか としなお)
本名:甲斐 尚美(かい なおみ)
津軽三味線井坂流師範、津軽三味線奏者、三味線職人

1976年 広島県府中市生まれ
1995年 福山暁の星女子高等学校卒業
1995年 筑波大学芸術専門学群入学。筑波大学津軽三味線倶楽部無絃塾入門
1996年 無絃塾2代目頭(かしら)就任
2000年 筑波大学芸術専門学群日本画専攻卒業。津軽三味線井坂流家元である井坂斗絲幸へ弟子入りし、三味線演奏活動の他三味線職人の修業を始める
2002年 津軽三味線井坂流名取襲名、井坂斗絲尚の名を受ける。芸道と職人修行を追ったドキュメンタリー番組、TV東京「あかたのげん」に出演。ラジオ・新聞・雑誌等でも取り上げられる
2005年 広島県福山市神辺文化会館で初のふるさと公演
2005年 台湾で初の海外公演。公益財団法人日本民謡協会公認三味線教授に認定される
2007年 津軽三味線井坂流師範となる
2008年 スイス公演。スイスに稽古場設立。以降毎年ヨーロッパ公演・稽古
2012年5月 青森県弘前市の津軽三味線全国大会団体戦Aで優勝。演奏曲「風の詩」
2012年7月 公益財団法人日本民謡協会茨城県南部連合大会民謡成年部で優勝。演奏曲「津軽あいや節」

現在、津軽三味線井坂流師範、井坂斗絲幸社中の中心メンバーとして国内、海外で公演。主なステージは、NHK「民謡フェスティバル」出演、国際フォーラム・NHKホール・愛地球博など。同時に三味線職人の仕事も続けており、弾いて唄える女職人として活躍中

筑波大学にはたくさんのサークルがありますが、なぜ津軽三味線倶楽部無絃塾に入門されたのですか。

高校までは、絵と勉強に明け暮れており、どちらかと言うと自分の世界に閉じこもるタイプだったように思います。大学に入ったら、新しいことをやりたいと思 い、そのひとつが三味線でした。高校卒業間際に、祖母が若いころ使っていた長唄の三味線が出てきたので、これを弾けるようになってみようと思ったのがきっかけでした。

そして津軽三味線井坂流家元である井坂斗絲幸先生と運命的な出会いをされたわけですね。

家元が若手の弟子に、必ず最初に言うことの一つとして「津軽三味線を通して様々な事を勉強しよう」という言葉があります。芸能、スポーツ、どんな分野でも 共通する、人として大事なことを常に若い世代に伝えようと努力されています。礼義を尽くすこと、けじめをつけること、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)、 気配り、感謝の心。当たり前のことですが、こういうことができない若者が多い世の中だと思います。また、大人数に対しての先生ではなく、一人一人の指導者 であることを大事に、声かけをおこたりません。そんな家元の指導方針に、無絃塾ならではの絆が生まれ、社会に出てからも沢山の塾生がつくばに帰ってきます。

甲斐さんにとって無絃塾での大学4年間はどのようなものだったのでしょうか。

入学当時、出来たての無絃塾には三人の先輩しかおらず、私の代が入門してようやく10名になりました。
あの頃の無絃塾は基礎づくりの時代でした。 今でも続いている行事の中でも大きなものが、夏合宿、学園祭ライブと模擬店『アイスのフライ』です。この他、民謡のコンクールに出場したり、井坂家元のス テージ活動に沢山参加させて頂きました。私は二代目頭(かしら)をやっていましたが、どちらかというと気が回らないし、おっちょこちょいで、皆に支えても らうタイプの人間でした。小さかった無絃塾は、色んな失敗もありましたが、大きな夢を持って活動していました。いつか、100人で大合奏できる大きな団体 になるんだ!とか、卒業生がふるさとで三味線を教えて、全国に無絃塾の輪を広げよう!とか冗談みたいなことを語っていました。
そんな師匠や仲間と 共有する夢や活動を共にする中で生まれた絆があったから、そして、無絃塾を応援して育てて下さる学校関係者、家元の門下生・喜幸会の皆様、ファンの皆様の 支えがあったから年々成長することが出来たんだと思います。今年は長年の活動の御褒美でしょうか、津軽三味線全国大会の団体戦に無絃塾含め、井坂流三絃喜 幸会という50名で初出場し、見事優勝することができました。
また、大学では日本画を学んでいました。合宿して絵を描く風景実習の授業や作品提出の締め切り前に学校に泊まりこんで制作したことなど、楽しい思い出がいっぱいです。
無絃塾も学校も大学時代に経験したことは確実に今、血となり肉となって生きています。
 

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無絃塾:卒業公演 in つくばノバホール

大学卒業後は井坂先生に正式弟子入りし、井坂斗絲尚を命名いただき、プロフェッショナルとして津軽三味線奏者、職人の道を選択されました。

在学中に家元の職業の一つでもある三味線職人の姿を見学する機会がありました。皮が破れる寸前のところまで張る緊張感と、妥協のない仕事に感銘を受け、興味を持つようになりました。
進 路を考え始め、いろいろ悩んだ結果、職人として弟子入りしたいと家元に申し出ました。奏者としてステージに立つことも三味線を指導することも得意な方では ありませんでした。しかし家元は、「造ること演奏すること、両方の角度から広い視野を持って勉強するように。」とおっしゃり、そのようにしました。
すぐには許されなかったので、一年間はアルバイトをしながら内弟子修業を。二年目から正式に内弟子として入門を認められました。稽古場まわりと、事務仕事と、ステージ活動、職人修行。何より、色んな人と出会える場であることが自分にとって一番の修業の場だと思います。

そして2005年6月、地元広島県神辺文化会館で里帰りコンサートを行いました。津軽三味線を始めて10年の節目の年でもあり、午前・午後の部とも立見が出るほどの大盛況だったそうですね。

井坂社中の公演は、私が言うのも何ですが、伝統芸能ではちょっと想像がつかないくらいパワフルで、バラエティに富んでいて、見ている人に元気を与えると思 います。自分のお世話になった故郷の人々に、この公演を見てもらいたいという強い思いがありました。しかし、故郷ではありますが、公演をやるには未開の 地。どうやったら沢山の人に見に来てもらえるか、家元にアドバイスをいただき色んな努力をしました。地元の民謡の先生や家族、知人に協力してもらい、さら に茨城から沢山のお仲間と、第一線でご活躍していらっしゃる民謡界のゲストの先生方にもご出演いただき、いろんな方の支えで成功させることができたと思います。
 

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今や国内のみならずスイスなどヨーロッパでも活動しているそうですね。

日本の伝統音楽の中でも、津軽三味線・和太鼓は世界に通じるものだと思います。縁あって、スイス公演を行ったと同時に稽古場ができました。毎年ヨーロッパ 方面に公演や稽古に行く機会ができました。現地に住むお弟子さんたちの他に、筑波大学の留学生で無絃塾に入っていた方でヨーロッパに住む方がお稽古を受け に来たりします
 

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NHKホール

 

筑波大学基金では支援項目の一つとして「学生・団体への課外活動支援」を設けております。創設間もない無絃塾の塾頭の経験などを踏まえて、本基金に期待することなどをお書き下さい。

大学生というあの時代が自分の人生に大きく影響を与えました。学生が、伸び伸びと色んなことに挑戦して、いい出会い、いい経験が出来る場所であってほしいです。そんな学生、サークルを支える一助として、筑波大学基金の発展を期待しております。
 

※来年、2013年1月27日(日)、筑波大学津軽三味線倶楽部無絃塾第15回卒業公演が、つくばノバホールで開催される予定です。津軽三味線のソロ演奏や、100人の大合奏。唄あり、踊りあり、和太鼓あり。若いエネルギーと感動あふれる公演です。是非、見に来て下さい。