僕が筑波大学に入学したのは、これまで選手、解説者として野球と関わってきた中で、いろいろなクエスチョンがあったからです。例えば大昔は「練習中 に水は飲むな」と言われたり、またひたすら根性論的な練習を課せられたりしました。今でこそほぼそれはなくなりましたが、それでもあるトレーニングをやる として、「これは何のためにやるのですか」とコーチに聞いても「ずっとやっていることだから」とか「みんなやっていることだから」という感じで明確な答え が得られない。こういう経験則も大事であることはもちろん理解しているのですが、僕はその根拠なり裏付なりが知りたかったのです。そしてそれを説明してく れるのが科学でした。それで筑波大学に入学しました。
僕は高校卒業後西武ライオンズに入団したのですが、入団後数年間はかなりの量の練習をしました。まずウォーミングアップとして100mを100本、 翌日は200mを50本、翌々日には400mを25本。その後にピッチングを毎日1時間、強化を1時間、1周800mの西武球場の周りを15周といった具 合です。お陰で簡単なことでは壊れない強靭な肉体を身に付けることができました。ただピッチングそのものは一向に良くなる兆しがありません。急速が増すこ ともなく、コントロールが良くなることもなく、球種が身に付くわけでもなく・・・。正直くすぶっていました。
満席となった会場(国際会議室)
日本に戻ってからは、「やらされる」のではなく、自らが「やる」ということを強く意識するようにしました。練習メニューを渡されたとき、これは自分が自分 に課したメニューなんだと思い取り組みました。また球速をアップしたいという明確な目標を持ち、故宮田コーチと猛特訓をしました。結果3年目のオフのたっ た3ヶ月間で球速が10kmアップしたのです。当時はまだ気付いていませんでしたが、これがスポーツ科学へのきっかけだったと思います。その後も僕自身良 いピッチングをするときもあれば、悪いピッチングをすることもあります。良いピッチングをしたときと悪いピッチングをしたときとで筋肉の張り方や箇所が違 うということをトレーナーに指摘されたとき、「ここの筋肉は何の筋肉?どういう風に動くの?」などとトレーナーに聞いたり、自分でもいろいろ調べたりする ようになりました。さらには生理学の分厚い専門書を買い込んで勉強しようとしました。ところが本を開いてみて・・・全く歯が立たず本を閉じました。
そういうことがあって野球を辞めたらスポーツ科学を勉強したいと思っておりました。もっともっと自分の知らないことを身に着けたいと思いました。そ れで筑波大学大学院に入学しました。そして今、知らないこと、新しいことを知ることが楽しくて仕方ありません。選手時代は自分のことで精いっぱいでした が、大学院終了後は子供たちにために尽力しようと考えていました。
僕は中学時代に肘を壊したことがあります。プロに入ってからも最初に痛めたのは肘でした。痛みがとれると一見治ったように思えるのですが、本質的には治っ ておらず、痛みが再発するというケースが良くあるということを専門家に聞いて知りました。僕は野球教室では子供たちに、「肩・肘を壊したことがある人は手 を挙げて?」と聞くようにしています。そうすると半分位の子供たちが手を挙げます。特にそのチームのエースはほぼ間違いなく手を挙げます。これは野球界に とって一大事だと感じました。だから僕自身がスポーツ科学を学んで、子供たちに肩や肘を壊さない投げ方や、そのためのトレーニング、更には壊してしまった 場合の対症法や治療法などを伝えていこうと思っていました。 その思いも、福岡ソフトバンクホークスの監督就任ということで一旦封印です。しかし監督の経験もその後の活動にとってプラスになるのではないかと感 じております。また僕自身はこれまでお世話になってきた野球界に野球で恩返しがしたいと思っております。その恩返しをまずはホークスの監督として、後には 子供たちへの活動として実践しようと思っております。監督になっても常に向上心をもって勉強をし、自分の野球観をしっかりと広げていきたいと思っております。そして筑波大学にまた戻ってきますので、その折はまた皆様宜しくお願い致します。
講演後、懇親会場にて永田恭介学長と握手を交わします。 左:清水一彦副学長 右:吉川晃副学長