工藤 公康 様 【福岡ソフトバンクホークス監督・元プロ野球選手】

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プロフィール

名前:工藤 公康(くどう きみやす)
元プロ野球選手
1963(昭和38)年 愛知県豊明市出身
1981(昭和56)年 名古屋電気(現:愛知工業大学名電)高等学校の投手として夏の甲子園に出場。2回戦でノーヒットノーランを記録。チームをベスト4に導く。
1982(昭和57)年 名古屋電気高等学校卒業。西武ライオンズ入団。以降西武、ダイエー、巨人、横浜で29年間活躍
2011(平成23)年 引退表明

〇レギュラーシーズン通産224勝142敗3セーブ
 MVP2回、最優秀投手1回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回、正力松太郎賞1回、最優秀防御率4回、最高勝率4回、最多奪三振2回

〇日本シリーズ
 出場14回、MVP2回、最優秀選手賞2回

その後野球解説者・野球評論家として報道ステーションや熱闘甲子園のキャスターなどで活躍
2014(平成26)年 筑波大学大学院人間総合科学研究科体育学専攻入学
2015(平成27)年 福岡ソフトバンクホークス監督就任

平成26年12月8日開催「筑波大学永田恭介学長を囲む会」講演より

演題:挑戦力
筑波大学に入学して1年も経たないうちに、福岡ソフトバンクホークスの監督に就任することになりました。大学関係者の方には大変ご迷惑をおかけします。
 
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僕が筑波大学に入学したのは、これまで選手、解説者として野球と関わってきた中で、いろいろなクエスチョンがあったからです。例えば大昔は「練習中 に水は飲むな」と言われたり、またひたすら根性論的な練習を課せられたりしました。今でこそほぼそれはなくなりましたが、それでもあるトレーニングをやる として、「これは何のためにやるのですか」とコーチに聞いても「ずっとやっていることだから」とか「みんなやっていることだから」という感じで明確な答え が得られない。こういう経験則も大事であることはもちろん理解しているのですが、僕はその根拠なり裏付なりが知りたかったのです。そしてそれを説明してく れるのが科学でした。それで筑波大学に入学しました。

僕は高校卒業後西武ライオンズに入団したのですが、入団後数年間はかなりの量の練習をしました。まずウォーミングアップとして100mを100本、 翌日は200mを50本、翌々日には400mを25本。その後にピッチングを毎日1時間、強化を1時間、1周800mの西武球場の周りを15周といった具 合です。お陰で簡単なことでは壊れない強靭な肉体を身に付けることができました。ただピッチングそのものは一向に良くなる兆しがありません。急速が増すこ ともなく、コントロールが良くなることもなく、球種が身に付くわけでもなく・・・。正直くすぶっていました。
 

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満席となった会場(国際会議室)

そんな3年目のシーズン途中に広岡監督からアメリカへ野球留学を命じられました。野球留学と言っても1Aのチームです。マイナーリーグであり、それも一番下です。ミールマネーという日当15ドルしかもらえず、1週間から10日間で結果が出ないとクビという世界です。野球を学びに行ったのですが、育成のプログラムも綿密な練習のメニューもありません。ただそこには大きな気付きがありました。それは彼らが練習を「やらされている」のではなく、自ら「やる」という姿勢で取り組んでいるということでした。練習の中でノックをして欲しい、特打をしたいとコーチに相談し、ノックをしてもらったり、投げてもらったりする。そういう世界でした。僅か3ヶ月の短い期間でしたが、僕の野球人生の大きなターニングポイントだったと思います。
 
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日本に戻ってからは、「やらされる」のではなく、自らが「やる」ということを強く意識するようにしました。練習メニューを渡されたとき、これは自分が自分 に課したメニューなんだと思い取り組みました。また球速をアップしたいという明確な目標を持ち、故宮田コーチと猛特訓をしました。結果3年目のオフのたっ た3ヶ月間で球速が10kmアップしたのです。当時はまだ気付いていませんでしたが、これがスポーツ科学へのきっかけだったと思います。その後も僕自身良 いピッチングをするときもあれば、悪いピッチングをすることもあります。良いピッチングをしたときと悪いピッチングをしたときとで筋肉の張り方や箇所が違 うということをトレーナーに指摘されたとき、「ここの筋肉は何の筋肉?どういう風に動くの?」などとトレーナーに聞いたり、自分でもいろいろ調べたりする ようになりました。さらには生理学の分厚い専門書を買い込んで勉強しようとしました。ところが本を開いてみて・・・全く歯が立たず本を閉じました。

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シーズン10年目を過ぎたころ、ハムストリングの肉離れの治療がきっかけで、筑波大学の白木仁先生に出会いました。当時の野球界の常識では、まずは 痛みがとれるまで治療をして、その後トレーニングという流れだったのですが、白木先生は痛みの中で早速トレーニングを開始しました。「先生、痛いんですけ ど」と言っても、「痛くてもやりなさい」という返答です。さらには「トレーニングをやらないと痛みはとれないよ」とのこと。最初は不安で、正直先生を信じ てよいものか迷いました。しかし「信じてやってみよう」と決意し、トレーニングを続けました。結果次第に痛みが和らぎ、筋肉も動いてくるようになって、 1ヶ月でほぼ痛みがなくなりました。これが僕と白木先生および筑波大学との出会いであり、これによりスポーツ科学をより意識するようになりました。また自 分の閉ざされた世界や野球界の外の世界に目を向けて、新しいことを知るということの重要性も痛感しました。

白木先生と出会ってからは、従来のトレーニングに加え、科学に基づくトレーニングも行いました。結果筋力も走力も球速もアップして、更に感覚面も研 ぎ澄まされました。1999年はホークス(当時ダイエー)が福岡移転後初の日本一になった年ですが、その対中日とのシリーズ第1戦に先発しました。その時 はバッターを見なくても思ったコースへ思った球を思った通りに投げられました。バッターのちょっとした動きで何を狙っているのかもわかりました。またネク ストバッターサークルの動作もよく見えました。自分の感覚がそこまで鋭く研ぎ澄まされていたことを今でも覚えています。トレーニングするということはただ 体を強くするだけではなく、技術や感覚をも向上させるということを理解しました。
 
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そういうことがあって野球を辞めたらスポーツ科学を勉強したいと思っておりました。もっともっと自分の知らないことを身に着けたいと思いました。そ れで筑波大学大学院に入学しました。そして今、知らないこと、新しいことを知ることが楽しくて仕方ありません。選手時代は自分のことで精いっぱいでした が、大学院終了後は子供たちにために尽力しようと考えていました。
僕は中学時代に肘を壊したことがあります。プロに入ってからも最初に痛めたのは肘でした。痛みがとれると一見治ったように思えるのですが、本質的には治っ ておらず、痛みが再発するというケースが良くあるということを専門家に聞いて知りました。僕は野球教室では子供たちに、「肩・肘を壊したことがある人は手 を挙げて?」と聞くようにしています。そうすると半分位の子供たちが手を挙げます。特にそのチームのエースはほぼ間違いなく手を挙げます。これは野球界に とって一大事だと感じました。だから僕自身がスポーツ科学を学んで、子供たちに肩や肘を壊さない投げ方や、そのためのトレーニング、更には壊してしまった 場合の対症法や治療法などを伝えていこうと思っていました。 その思いも、福岡ソフトバンクホークスの監督就任ということで一旦封印です。しかし監督の経験もその後の活動にとってプラスになるのではないかと感 じております。また僕自身はこれまでお世話になってきた野球界に野球で恩返しがしたいと思っております。その恩返しをまずはホークスの監督として、後には 子供たちへの活動として実践しようと思っております。監督になっても常に向上心をもって勉強をし、自分の野球観をしっかりと広げていきたいと思っております。そして筑波大学にまた戻ってきますので、その折はまた皆様宜しくお願い致します。

講演後、懇親会場にて永田恭介学長と握手を交わします。 左:清水一彦副学長 右:吉川晃副学長.jpeg
講演後、懇親会場にて永田恭介学長と握手を交わします。 左:清水一彦副学長 右:吉川晃副学長